2011年5月15日日曜日

今までの軌跡~誕生~高校生編~

どもども、のりです!

せっかく、ドイツに来て時間もあることだし
自慢も何もかも全てここに書き尽くします!!


1987年5月11日
大阪府大阪市にて杉山佳範誕生。

0歳のとき、父親いなくなる
(後で事実だけ知りました。
ちなみに、離婚しただけなのでたぶん生きてます。
一回で良いのであってみたい。
自分のルーツだしね。)

保育園
すくすくと育つ。
人見知りの影なんかもなく、人懐っこく育つ。
これは母の教育らしい。
確かに、小さなころから一人でよくおつかいとか行ってました。
コンビニで買い物するも、お金が足りずに
店員さんからお金を借りるという荒業を発揮

小学校
小学校に入学するも、祖父の病気で実家に引越し。
一年生の二学期から隣の小学校へ転校。
小学1年生の頃から、「浜寺水練学校」に行き始める。
夏休み限定の水泳教室だが、歴史がありめっちゃきつい。
おかげで、水泳はできるようになる。
小学4年生の時に、ミニバスに入る。
ちょいちょいサボる。あの時まじめにやってたらなー
なんて、ちょっとだけ後悔。

小学4年生のとき、クラスで泣きながらカミングアウトするのが流行する
「実は僕、お母さんがいなくてみんなにこんな態度を・・・」
「今、家でこういう問題があって・・・」
「こういうことがコンプレックスで・・・」
担任の先生に、「母子家庭であることをみんなに言って良いんだぞ
と言われるも、隠しもしてないしコンプレックスにも思ってなかった。
母子家庭だからってコンプレックス持ってるときめつけるな、と思った。
母を誇りに思うことこそあれど、別に父親がいないことに対しては
それほど何も思ってなかった。
まぁ、父親話になったときに自分には言うネタがねーな、程度。
気を使われるのも嫌だった。
6年生あたりで、ちょっとイジメらしきものがあった。気がする。

小学4年生あたりで、母に勉強する意味を聞く。
勉強してもしなくても料理人にはなれるけど、
 お医者さんになるには勉強してないとなれないよ。
 勉強しないとできないこともあるから、今は勉強しておき
と言われる。
こういう話は結構染み込んで、後の行動指針にもなってる。

中学生
ヤンキー中学校に入学。
ガチで荒れてました。
(ミュンヘンで出会った大阪で先生をしてた人にも
あそこの中学は荒れてたねって言われました笑)

ちなみに、僕はヤンキーともそうでない人とも仲が良かったです。
なので、インテリヤンキーと呼ばれてます。(大学の友人から)
しかし、2年生の時に衝撃的な先生2人と出会う。
「世の中、金ですわー」と言い切る社会の先生と
軍隊のような指導をする体育の先生
彼らのおかげで、今でも「前習え」は素晴らしくきれいです。
彼らの指導で、ヤンキーも人並み以上の前習えしてました笑
また、先生に会いたいな。日本に帰ったら探して会いに行こうかなw

中学1年生のとき、生涯スポーツとなりそうな陸上競技を始める。
専門は走高跳。専門にした理由は、陸上部の中で一番跳べたから。
3年間走高跳に専念するも、たいしたことなく大阪市7位に留まる。
ベストは170cm。

高校進学時に
「やべー、英語もパソコンも両方やりてーーーー!!」と悩む。
英語喋れるシステムエンジニアとかカッコいいよね。」との思いついた。
高校英語→大学情報系
高校情報→大学英語系
で悩むが、現実的な高校英語→大学情報系を選択。
大阪府立住吉高等学校国際教養科を受験。
思惑通り、まんまと合格。

ちなみに、入試成績は下から3番目ぐらい。
おそらく、入試の英語の点数は最低点
配点は低いが得意だった数学に助けられた形に。



高校生
思惑通り、第一希望の国際教養科に入学したものの
周りの英語のレベルの高さに焦る
1年生の時、リーディングの時間は全て英語だったため
ちんぷんかんぷんだった。

国際教養科のキャラの濃過ぎる中、すくすくと成長。
もうあんな超個性集団には出会えない気がする。
みんな、毎日キラキラしてたなぁ。


依然、走高跳も継続。
短期留学などのチャンスがあるも、
陸上の大会と被っているという理由でチャンスを棒に振る。
きっと、ホントは海外留学とか新しい環境が怖かっただけ
大阪・奈良・和歌山の対抗戦に大阪代表で出る。
ベストは188cm。大阪府7位。近畿大会には後3cmで出れず。
関西学院大学からスポーツ推薦のお知らせが来るも、
基本的に貧乏だったので国公立大学受験を目指す。


当初の予定通り、国際教養科の中でも理系コースへ。
大阪大学を目指すも、数学が好きすぎて工学部で方法論として学ぶことに疑問。
大阪府立大学理学部に情報数理科学科を見つける。
情報と数学を学問として学べるならそこがいい!!として、
偏差値的なレベルは落ちたが志望校の変更。


センターも成功し、二次試験も楽勝。
宣言どおり、センター試験も二次試験も両方トップで、大学首席合格

しかし、3年生では勝手にライバル認定した"天才もりも"には一度も勝てず。
超上出来だったセンター試験でも勝てず。悔しい。

しかし、合格した3日後ぐらいに彼女に振られる
合格はしたが、どん底へ。


続く・・・

大学生編→こちら



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